• sp
  • HOME
  • はじめての方へ
  • プロフィール
  • 著書一覧
  • 取材・講演履歴
  • BLOG
  • 交流会
  • 動画
  • お問い合わせ
  • English

ヘッドハンター小松俊明公式サイト 人材紹介の勘所、教えます

RSStwitterFacebook
  • スキルアップ
  • 独立・開業支援
  • カウンセリング
  • コーチング
  • ビジネスサポート
  • 教えてマツさん

小松俊明の‘上機嫌’Blog

「毎日を‘上機嫌’に過ごすこと」 これが私の毎日の目標です。
人生にはたくさんの試練があるし、どうしようもないこと、目を背けたくなるような こともある。
体調がすぐれなかったり、食欲がないことも。天気が悪ければ家から出たくなくなるし、二日酔いや寝不足な日もある。仕事がうまくいかなかったり、家族とケンカしてしまう日もある。
それでも毎日を‘上機嫌’に過ごしたいものです。そんな私の‘上機嫌’な毎日をブログでお届けします。

気づき・学び

2012年02月20日いくつの顔を持てばすむのか

Tweet

ビジネスマンは実にいろいろな顔を持ちながら、いずれ働くモチベーションがなくなる日まで駆け抜けることができたら幸せに違いない。死ぬまでその状態が続く思考力・スキル、そして健康があれば素晴らしいだろうが、まぁどこかの時点で、世の中から引退したくもなり、あとは毎日を穏やかに過ごしたいと思う時も来るのかもしれない。

実際、サラリーマンというのは自分の役割が制約されがちであって、取材ひとつ受けるのにも広報部に問い合わせ、場合によってはストップがかかることもある。最近は少しずつ会社も寛容になってきたようで、サラリーマンでも本を書いたり、取材を受けるようになってきた。特に外資系企業はそのあたり自由度が高い。自分も21世紀になって海外から日本に帰国して以来、2001年から2008年まではサラリーマンだったわけだが、外資だったこともあって気軽にメディアの取材を受け、本の執筆の機会にも恵まれた。まして2008年夏に自営になってからは、さらに「色々な顔」を持ちながら、仕事をするようになったと思う。

まぁ、なかなか一つの専門性だけで食っていけないという苦しい事情も正直なところある。「自分は数学の教師である」というように、一言で自分の職業ややっていることを表現することができない。とはいっても、最近の数学教師も、様々な活動をするようになってきているから、みな同じか。

20代の自分は駆け出しの商社マンになったはいいものの、その世界からは早々と卒業、というか挫折して、、その後、海外で起業なんてことに挑戦はしてみたものの、もう一つ芽が出ず日本に帰国。30代になってから覚えた仕事がヘッドハンターという、なんとも社会的な認知度の低い仕事だった。まぁ商社マンも一種のエージェント業だったし、起業したのも一種の自由業みたいなもんだったから、ヘッドハンターというエージェント業に挑戦したのも、自然な流れといえばそうも言えなくもない。そもそもヘッドハンターと言ったり、転職エージェントだったり、はたまた人材コンサルタントだの、キャリアアドバイザーだの、まぁこの仕事にはもう一つ定着した名前がないわけで、それだけあいまいというか、未成熟な仕事ともいえるのかも。この仕事をやるための国家資格があるわけでもなし。あまり注目されないキャリアコンサルティング的な民間資格は乱立してるが、どれも資格としての認知度は低く、、、そもそも資格がなくても見よう見まねで始められる仕事である。

学生時代の英語の成績は悪かったが、ただ海外生活が長くなったというだけで多少サバイバル英語ができたことから、自分は日本への帰国とともに外資に潜り込んだともいえる。それも2001年当時の外資系のヘッドハンティング会社なんて、乱暴な言い方をすれば語学講師崩れの一獲千金を夢見る不良外人の巣窟だったが、そこにこれまた海外崩れの日本人がもぐりこんだという感じであったのだろう。海外で起業すること自体がかなり変わっていたと思うし、まぁ冒険をやりつくした感はあったが、子供を連れて帰国して、また日本でやり直しを始めたのが34歳だったというわけだ。大学を卒業して、一応人気ランキング上位に入る日本の大手企業に入ったのにすぐにやめるんだから、変わり者といわれてもそれはそれでしょうがないのかもしれない。

34歳当時の自分を振り返ると、海外生活にも慣れ、まして起業して5年以上たってたから、典型的な日本のサラリーマン生活に戻れるはずもなく、その点ではゆるい職場環境だった外資のヘッドハンティング会社あたりがちょうどよかったともいえる。横浜に小さな賃貸マンションを借りて、6年ぶりの日本での新生活をやり直したわけだが、これが不思議なもので、世の中は中途採用ブームだった。転職社会が本格的に到来し、不良外人といえどもなめちゃ困る。語学学校の英語講師を辞めた甲斐があって、給料が5倍に増えたなんていう話が珍しくないバブル状態の時代を迎えた。

もちろんまじめな外人も多少いたが、おおかた不真面目な不良外人に囲まれながら、自分はかえって奮起してまじめに採用業務に取り組んだら、これが結構成果があらわれてきた。今とは違って、2000年代前半から半ばのころは、本当によく採用が決まった、決まった。頑張って、頑張って年間8000万円に迫る売り上げを一人で上げたのに、それでもまだ上に1億円あげたヤツがいたという時代だった。あのころはホント、ヘッドハンターが稼いで稼いで稼ぎまくった時代。。当時の不良外人の多くは、果たしてしっかり貯金して本国に帰っただろうか。いや、たぶん六本木のロシアンパブあたりに無駄にお金を落としただけだったかもしれない。ロシアンパブじゃなくて、、、そんな多国籍なヘッドハンターたちを目の当たりに見て育った自分は、それはそれで何とも貴重な人生経験だったように思う。一流MBAを取りに海外に行って、海外のスノッブなエリート外人と友達になるのもいいが、自分の場合、東京を徘徊する不良外人たちと六本木界隈で飲み倒したあの30代の経験は、人生の大きな肥やしとなったといえるだろう。って、これも一流MBAを取りに行けなかった負け惜しみか。

色々な顔を持つようになったのもそのころからだ。

2001年に求人情報誌の取材を初めて受けて、その直後に連載コラムをもった。ただその雑誌は間もなく廃刊となり連載も終わるのだが、ほぼ時期を同じくしてはじめて自分の名前で本を書くことになった。34歳のことだ。あれから今年で10年。翻訳本、リメイク本、新書化もいれれば、これまで24冊の本が自分の名前で世の中に出ることになったわけだから、自分でも正直なところビッグサプライズである。今年もリメイクが1冊、新刊を1冊作ることが決定している。昔、中学生のころ、作文である大きな賞を一度だけもらったことがあるが、本を書くことは自分の性に合っていたのだろうか。いつか小説にも挑戦して、芥川賞を狙ってみようかな。それは無理か。

講演も、書籍の著者になってから少しずつ依頼が増えていった。また講演エージェントと付き合いだしてからは、そちらからの依頼もある。今年はその講演エージェント数を増やすことにしたので、さらに講演の依頼は増えるかもしれない。昨年は講演の仕事ではじめて本州から外に出た。沖縄キャリアセンターで講演したのは、いい経験だった。今後は、キャリアやワークライフバランスをテーマに、全国各地でもっと講演する機会を増やしていきたいと思う。講演エージェントさんたちにもっと売り込み、頑張ってもらわなくちゃ。

雑誌の取材は2001年以来、ずっと絶えることなく続いている。ただ取材対象のメディアの種類は変わってきた。景気のいい時代には、ヘッドハンターの出る幕はたくさんあった。それは特に男性誌や夕刊紙だった。最近は、あまりキャリアアップ、給料アップのネタが少なくなったから、以前よりはそちらの方面への登場回数は減った。

かわりに、最近はキャリア関係のメディア(インターネットも含む)への連載が増えた。オールアバウト、エンジニアタイプ、月刊総務、キャリアジンなどへの連載である。安定的に継続して自分のコラムを同じメディアで書くことは、有意義である。単発の取材よりも継続性がある分、読者を強く意識しながら、自分の作品を世の中に発表し続けていく感覚は、よりクリエイティブ感を楽しめる。

もう一つの顔は、失業者対策である。再就職支援ということだが、これは個人相手のキャリアコンサルティング、カウンセリング、経歴書添削、面接対策などの個別の仕事を始めたことによる。積極的な営業はそれほどしてないが、ある程度定期的に発注頂いている。個人のビジネスパーソンに向けたサービスをすることは、ビジネスとしてはあまり成り立たないが、やりがいはあるから、これからも適度に続けたい。

再就職支援の別の顔は、大手の再就職支援企業にてセミナー講師をしていること。これはボランティアなので、月1回と決めている。もう2年になるが、ずっと毎月続けている。毎回50名を超える参加者があり、おかげさまで好評とのことで、自分もやりがいを感じている。失業者が全然減らず、むしろ激増しているのは、何ともはかない。

人材紹介業界に長くなり、業界に貢献する何か仕事をしたいと思い続け、自前の勉強会を始めたのが2005年。松塾という私塾であるが、これは今年で8年目。基本はボランティア。たまにワークショップ的なことを企画して、少しお金を参加者からもらうこともあるが、これも事業としては成り立たない。業界発展のため、あまり経験のない同業者救済のため、そして自分のスキルアップのために続けている。業界の情報収集にも役立っていると思う。ほかには大手の人材紹介会社や、人材派遣会社の中にある人材紹介事業部へのコンサルタント研修の仕事を依頼されることがある。今年は日本人材紹介事業協会という業界団体の仕事も少しやることになり、また厚労省の指定する法定講習の講師もすることになりそうだ。

たくさん書いてきたけど、本当にたくさん顔がありすぎて、こんなに色々とやっていていいのかと思うこともある。もっとシンプルに生きられないのか、いや、正直なところもっと楽して稼げないのかといったところだが、無理そうだ。どれ一つとして、それだけでは食っていけない。。。なんてことだ!

今年、もしかしたら、こうした様々な顔に、もう一つ「新しい顔」が加わるかもしれない。今までにない、全く新しい顔になる。まだどうなるかはわからないが、少なくても3月中旬ころには、その方向性が見えてくるだろうか。もし決まれば、またこの場で発表したい。

今後もこんな感じで、いろいろな顔を増やしながら生きていくのだろうか。やっぱり、もっとシンプルに生きられないだろうか。飽きっぽいわけじゃないはずだ。結構、一つのことを続けるのは好きなほうだからだ。

毎日40文字の一行日記をつけ始めたのは、2004年4月。それからもう2700日以上連続して日記をつけているのだから、あきっぽいわけじゃないぞ。。といってみたが、別にそれだけでは飽きっぽいか、そうではないかの判断はできないか。松塾ももう8年目!あ、でもそれは別に月1回の勉強会プラス懇親会。好きなこと、楽しいことはだれでも続けられるか。。。

色々な顔がある。古い顔はどうせ自然と消えていくわけだから、今年は今年の新しい顔を持てればそれで良しとするか。

小松 俊明| 気づき・学び > いくつの顔を持てばすむのか |コメントする・ツイートする・読む

2012年01月28日コミュニケーションは難しい

Tweet

小3娘の学校発表会に行ってきた。国語の授業だった。先生がプリントを配り、その物語をみんなで一緒に読んで、その後に登場人物の心情をクラス全体で読み解いていくという授業だった。思いのほか積極的な生徒が多かった中、うちの娘も頑張って3,4回手を上げて、先生から2回あててもらって発表した。10回以上手を上げる子供たちがいる中、3,4回の挙手は地味ではあったが、娘らしいと思った。

さて今朝は朝から仕事の件で一つ打ち合わせを予定していいたため、授業参観を早々に途中で切り上げて、打ち合わせ場所に向かった。先生からもらった授業のプリントをバッグにしまいこみ、いつものスタバに急いだ。授業で配られたプリントがなぜか気になり、同じく小さな娘を持つ打ち合わせ相手にプリントを見せた。「小3ってこんな文章読んでるんですね。漢字もこんな具合で・・・」 気楽に見せたプリントだったが、相手は何かに気づいた様子で神妙な顔をして考え込んでいる。

そして出てきた言葉を聞いて、ハッとした。

「自分って、子供に高いレベルのことを求めすぎていたかもしれないなーって思っちゃいまして、、」

小3というレベルが、この程度の文章を読み解いている段階であることを知り、ようはさらに年下の娘さんであれば、もちろんこのプリントの文章レベルよりもっと読解力、理解力は低いことになることにはたと気づいたと言うのである。

コミュニケーションの難しさは、子供の例でもわかるように「理解力の違い」が原因になっていることが多いのではないか。

ついつい僕ら大人は、自分の常識や考えるスピードで物事をジャッジし、相手とのコミュニケーションをとっている。まして相手が大人である以上、自分の言いたいことを相手に伝えれば、相手がわかってくれたと誤解しがちである。

実際はまったく相手に伝わっていないことも少なくない。それはやはり相手が理解してくれてないことが原因なのだろう。頭の回転が早い人は、その速さで物事を論理的に話すものだが、聞いている方が理解できなければ意味をなさない。つまり、自分だけがわかっていてもコミュニケーションは成り立っていないのである。上司と部下のコミュニケーションなど、かなりこの点を注意する必要があるのではなかろうか。

コミュニケーションは難しい。

小松 俊明| 気づき・学び > コミュニケーションは難しい |コメントする・ツイートする・読む

2012年01月22日40代、僕らはなぜ気負ってしまうのだろう

Tweet

40代になると、人はなぜか「気負い」が目立つようになる。若い時の背伸びとは少し性質が違う。たとえば、次のようなアピール、身のまわりにたくさんないだろうか。

自分の賢さをアピールする人、仕事の充実ぶりをアピールする人、英語ができることをアピールする人、激務ぶりをアピールする人、自分の家柄や家訓、信条をアピールする人、家族円満や子煩悩をアピールする人、海外通や海外生活経験をアピールする人、高い酒やその他のコレクションをアピールする人、自分の肉体の若さをアピールする人、健康生活をアピールする人、多趣味ぶりをアピールする人、たぶん、もっと探せばいろいろある。

自分も40代になって、同世代にこのようなアピールが増えていることに気づくようになった。自分でも一部身に覚えがある。なぜ40代の今、人は気負うようになるのだろう。

人生も折り返し地点をまわって、自分の能力の限界や先々が見えるようになってきたからだろうか。それとも自分はまだまだいけると思いたいからだろうか。それとも自分は他人に負けてないと思いたいからだろうか。

ちなみに流行りのフェイスブックは、そうした40代の「気負い」の温床になっているように見える。もう何でもありである。自分も調子に乗ってアピールした後で、自己嫌悪に陥ることがある。さすがに他人のアピールは見慣れてきて、自然と自分があまり気にいらない他人の「気負い」トークはスル―できるようになってきた。ただそうはいっても、この増幅する「気負いネタ」のおかげで、だんだんフェースブックも食傷気味になってきた。実際、自分が発する「気負い」トークの数々は、おそらくそれを快く思わないゆるいつながりの知り合いの方々から、完全にスル―されているのに違いない。

ところで仕事柄、中高年の転職支援をしているが、「気負い」が目立つ職務経歴書が多いことも最近とても気になる。いわゆる誇大広告のような経歴書が何と多いことか。ここでも、あらためて40代の「気負い」が強まっていることを感じざるをえない。

もしかしたら40代の問題というより、今の時代を反映しているのだろうか。先行き不透明な時代の中で、働き盛りの世代である40代は、自分はここで落ちこぼれたくないともがいているのだろうか。いわゆる第一線から退くにはまだもう少し時間がある。今のうちに、自分の存在を不特定多数のだれかに認めさせたいという焦りだろうか。

僕自身も、これまで決してアピールが弱いタイプではなかった。そもそも体が大きいということだけでも自己主張が強く見えるわけで、もっと控えめに、もっと黙っている方がいいと思うことも多い。ただ性格的には、自分で言うのもなんであるが、どちらかというと穏やかでおとなしいほうではないかと思ってる。なかなか人様にはそうは認めてもらえないことが多いが、自分は本質的には引きこもりがちであり、対人関係が得意とは言えない。週末などは、本当に家で家族とばかりひっそりと過ごしている。子供のころから、ずっとそんな人生をおくってきた。よくいえば家族との時間を大切にしてるともいえるが、悪く言えば単なる出不精である。

だからこそ正直なところ、他人の「気負い」は嫌いだ。そして自分の「気負い」はもっと嫌いである。特に自分の気負いの場合、そのときはそのつもりがなくても、後になって自分の表現方法に気負いが表れていたことに気づくことがあるから、そんなときは深く自己嫌悪に陥る分、面倒である。

小松 俊明| 気づき・学び > 40代、僕らはなぜ気負ってしまうのだろう |コメントする・ツイートする・読む

2011年10月29日失敗から学ぶ

Tweet

最近、最終段階まで至ったケースで、2件クローズできませんでした。非常に悔しい思いをしました。振り返ってみましたが、どちらのケースにも共通していたのは「補充案件」ではなかったということ。「社内の人事異動含み」で最終候補を絞り込み、素晴らしい候補者の方がそれぞれ最終選考に残りました。それにもかかわらず、この段階で企業は採用を断念。

社内の人事異動には色々な要素が加わるため、確かに通常の採用よりも状況は複雑です。それはわかっていましたが、候補者の方に対する企業の評価がとても高かっただけに、この結果には関係者すべて大変落胆しました。

より戦略的な中途採用になればなるほど、いろいろな要素が働きます。企業、候補者、そしてエージェントにとっても難易度の高い採用になるわけですが、同じ売上だとしても、こうした仕事で話がまとまった場合、とても大きなやりがいと達成感を得ることができます。

さらに今回のように結果が望んだ結果でなかった場合、その衝撃は大きいですが、こんな場面に直面した時こそ、自分はよりたくさんの学びや気づきを得なければなりません。ベテランのコンサルタントにとってこうした出来事がたまに起きることは、ある意味、いつまでも謙虚に学ぶ気持ちを忘れてはいけないという、いわばきつい戒めのようなものなのかもしれません。

それにしても、今回話をまとめられなかったことは自分が情けないし、がっかりもしました。候補者の方にも本当に申し訳ないと思いました。それがゆえに自分はもっと努力して、これからさらに力をつけていかなければいけないと思いました。

次のケースで、今回の分を取り返そうと思います。

コメント!
小林俊暁

私も今月2件、最終段階まで至ったのにクローズ出来ませんでした(><)両方共、私のクライアントからはオファーが出てたにも関わらずです。。。クライアントが出したオファー(貴方を採用したい!)という意思表示のお手伝いが出来ず悔しい思いをしました。今は前を向いていますが、まだ衝撃が多き過ぎて。。。小松さんのようにたくさんの学びや気づきを早く得られるように頑張ります!

小松 俊明| 気づき・学び > 失敗から学ぶ |コメントする・ツイートする・読む

2011年10月23日4期目に取り組んでみたいこと

Tweet

独立してから3期目となった2010.09 - 2011.08の間、仕事のポートフォリオを見直してきた。1期目、2期目は、売り上げの9割が人材紹介業、残りの1割がコンサルティング、研修費用、印税、取材謝礼などであった。人材紹介の常であるが、9割の売上は成功報酬ベースで取り組んだわけで、景気が低迷している中、予測を立てることがとても難しく不安定な中の事業活動であった。

それもあって3期目に挑戦するにあたり、売上構造を変えていくことを考えた。まずは人材紹介以外のサービスの存在を世間に知らせるためにホームページを整え、フェースブックページを作り、オールアバウトやエンファクトリー、ライブカレッジなど、他社サイトとの連携を始めることにした。積極的に連載の仕事も受けたので、原稿を書く量が増えた。(これがブログ更新が減った原因である。)結果として、3期目の売り上げの2割が人材紹介以外からあがる結果になった。では4期目はどうするか。

まずは人材紹介以外の仕事が売り上げ構成比に占める割合は、何とか3割に上げたい。3期目はあまり広報活動や営業活動をしなかったが、4期目は、そうしたことにもう少し取り組んでみようと思う。それによって顧客層を広げていきたいとも思う。

3期目の反省のひとつは、そうした人材紹介以外の仕事にかなり時間がとられてしまったことであり、人材紹介の仕事に少なからず影響が出てしまったこと。4期目はその点に注意し、効率的に時間を使えるように気をつけていきたい。

ブログやフェースブックページ、原稿書きや資料作りなど、こうした創作活動には時間をかけすぎないように気をつける必要があるだろう。

4期目は、松塾関係者を中心とした人材紹介会社間のアライアンスにも挑戦してみようと思う。世間ではうまくいっていないエージェント間のアライアンスだが、松塾のノウハウとメンバー間の信頼関係を活用すれば成果を出せる気がする。案件のアライアンスだけではなく、人材紹介以外のサービスに関する相互の営業協力のようなものも、このネットワークの中であれば、実現が可能である気がする。

3期目までは立ち上げの時期であったが、4期目はこれまでの経験を生かし、見直すべきところは見直し、そして効率的な時間の活用をしながら、もう一度原点に立ち戻って、今、あるものを効果的に活用できるようにしていきたい。

小松 俊明| 気づき・学び > 4期目に取り組んでみたいこと |コメントする・ツイートする・読む
1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11 次の5件

最新エントリー

  • 電子書籍の動き
  • タイムマネジメントの本
  • 中高年と若年層のキャリア
  • 大学の仕事を始めて1ヶ月経過
  • 「博士のキャリアデザイン」ワークショップ@海洋大
  • 新年度の新たな挑戦について
  • 法定講習を面白くします!

BLOG

  • BLOG TOP
  • 会社・仕事(157)
  • 気づき・学び(96)
  • 世の中の出来事(21)
  • 将来の夢(4)
  • 交流・友人(10)
  • 執筆・取材(21)
  • セミナー・講演(5)
  • 旅行・遊び(16)
  • スポーツ・趣味(7)
  • 子育て・家族(42)
  • 食事・料理(43)
  • 本・雑誌(4)
  • 音楽・映画(9)
  • 自宅・庭仕事(31)
  • 家具・インテリア(3)
  • 吉祥寺(9)
  • 自転車(2)
  • ファッション・小物(5)
  • 買い物(4)
  • 健康・医療(4)
  • ホームページ・他(1)
  • 大学の仕事(1)

ツイッター

特定商取引法の表記|プライバシーポリシー|免責事項|サイトマップ|お問い合わせ
ページトップへ

外資管理職の転職|連載/転職のノウハウ| 連載/働き方の極意|

Copy Rights 2011 © Toshiaki Komatsu Official Web Site All Rights Reserved

リクルーターズ